浦安で震災ボランティア

 先々週の連休中、近所の浦安市で震災ボランティアをやってきた。


 浦安は、人的被害こそ少なかったものの、液状化現象で道路や建物がボコボコになり、いまだガスや上下水道の繋がっていない地区が多い。水が出ないところへ噴出してきた泥や砂が積もり、綺麗だった街並みが今や荒野の様相を呈している。被害総額は734億円と浦安市は見積もっている。
 被害状況は下記サイトの写真を見るとイメージできると思う。


http://www.rescuenow.net/2011/03/post-1524.html


 そんな浦安市で募集されていた震災ボランティアに参加した。地元でもあるし、東北の被災地に比べればまだ素人が働ける場所もあるだろうと思ったのだった。
 汚れても良い仕事着や軍手・マスクといった装備を揃え、食料持参で募集会場に赴く。もう落ち着いている、という噂を聞いていたので、人も作業もあまり無いかもしれないな、と思ったら、募集会場は老若男女の志願者で溢れ返っていた。
 以前にボランティアへ参加した新潟県中越沖地震の時は、むしろ作業の方が無くなってしまい、募集打ち切りになった日も多かった。だから、こんなに人が集まっているなら大丈夫だし作業もほとんど無いだろう、と思っていた。しかし、保険加入やオリエンテーリングを済ませて作業とのマッチング会場に入ると、数十人単位でどんどん仕事が割り振られていく。水の配給の手伝いや広報活動、トイレットペーパーの配達などなど。
 やがて僕は十人のグループの一員となり、公民館の泥掃除の仕事を割り当てられた。スコップなどの資材を貸し出され、バスで現場へ向かう。グループのメンバーは、僕も含めて男性が七人で、うち一人がプロの土木業の人らしかった。三人は女性で、そのうち二人はごく普通の女子高生に見える。

 バスで市内を走っている最中、浦安の被害状況を目の当たりにした。1メートルも突き出たマンホールや、亀裂の入った歩道、ひび割れた道路、それに所々で噴出した泥や砂。電柱もいくつも傾いていた。
 やがて公民館に着く。施設の職員の方に、現場の説明をして頂いた。建物に沿って50メートルほど伸びているはずの側溝が砂で埋まり、まったく見えなくなっていた。このままでは、雨が降ると一帯が海になってしまう。
 そんなわけで、スコップを手に砂の除去作業が始まった。砂なのでスコップの通りは良い。だが、水を吸っているために割と重かった。積もった砂の厚さは大体30cm、深いところでは50cmほどあったようだ。それをスコップでひたすら掘っていく。
 グループ10人に対して一輪車は2台しかない。掘る方は割と勢いが良かったが、そのぶん砂を運ぶのが大変だった。荷台に山盛りになった砂は重く、一輪車を押しているときにちょっと油断するとバランスを崩してしまう。
 やがて側溝の蓋が見えてきた。上に積もっている砂を掻き分けて、蓋を持ち上げてみる。コンクリートの蓋がかなり重い。そして、溝の中には泥がいっぱいに詰まっていた。
 持ってきたスコップの刃が大きくて、側溝の砂を掻き出すのがなかなか難しい。縦に刃を入れてすくう事ができず、横方向に刃を入れて少しずつ掻き出していくほかなかった。
 休憩を挟みながらそんな作業を続け、どうにか建物の半分まで側溝を掘り出したところで作業終了となった。

 帰り道でも、震災のつめ跡が色々と目に付いた。斜めに傾いた交番や、おそらく傾いたために地面に下ろされているグラウンドの照明がバスの窓をよぎっていく。給水車の止まった公園もあった。この街にはまだまだ人手が必要だろうと思われた。


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 震災ボランティアに行くことについては色々議論があって、否定的な見解もある。しかし、公式に募集が行われている場合は、やはり需要があるのだと思って良いだろう。逆に言えば、公式募集がされていない場合、まだボランティアを受け入れる態勢が出来ていないので、よほどの専門集団でしかも地域にバックボーンがない限りは、プロに任せておくべきだろう。
 また、ボランティアというのは質より量という戦略なので、一人ひとりで見るとほとんど何もできていない場合がある。つまり、強い意志と誇りを持って現地に赴いても、作業がなくて帰されたりする。危険なことはダメとか、最初に言われた事以外はやっちゃダメとか、色々制約も多い。これは、質より量を確保して余計な問題を起こさないための、仕方の無い制約なのだ。
 今日の自分が満足に働けなかったり、十分に成果を上げられなくとも、明日・明後日の別のボランティアがいつか仕事をこなしてくれる。自分個人として活躍するのではなく、大きな流れのほんの一滴になる。ボランティアというのは本当に主体的な活動なのだけれど、一方でそんな没個性的な面もある。その点を理解できれば、自分と縁のある地域でボランティアに参加することは、とても良いことだと思う。
(もちろん、観光気分が過ぎても困るのだろうけれど)